N.Sカフェ・塩谷 和人さん:山奥の一息と、好きの居場所

熊野古道の山あいを歩いていると、体力よりも先に、頭の中が乾いてくる瞬間がある。足を止める理由がほしい。水分だけじゃなく、少し座れて、気を抜ける場所が。

そんな道の途中にあるのが、塩谷さんが営む N.Sカフェだ。そして同じ敷地内で、お父さんが 「ゲストハウス豊舟(ほうせん)」を運営している。カフェと宿。親子がそれぞれの持ち場を担いながら、旅人を受け入れている。

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料理の確かさが、居場所の安心をつくる

取材前は、ホテルで料理人として腕を磨いた人が営む店だと聞いて、「きっと料理がうまい店だろう」と思っていた。実際に食べてみると、その予想はちゃんと当たる。味に安心感がある。

そして話を聞けば聞くほど、N.Sカフェの魅力は皿の上だけで完結しないことにも気づく。おいしいからこそ人が落ち着ける。落ち着けるから会話が始まる。旅人がふっと肩の力を抜ける空気まで含めて、体験として整えられている。

“山奥の休憩所”として開くという選択

N.Sカフェは、単なる飲食店ではない。塩谷さんは、ここを「旅行者に利用してもらう」場としても考えている。トイレを開放し、スマートフォンの充電も「自由に使ってください」と差し出す。巡礼道を歩く人にとって、こうした小さな受け入れは本当にありがたい。

山奥は、確かに気軽には来られない。けれど「来た人が、きちんと休める」ように設計すれば、その不利はそのまま強みに変わる。

オタク文化は“飾り”ではなく、会話の入口

店内には漫画、アニメ、フィギュアが自然に溶け込んでいる。塩谷さんは、壁面がモルタルむき出しだったこと、そして自分のオタクグッズの置き場がなかったことをまとめて解決する形で、空間を作っていったと語る。

面白いのは、これが「オタク向けに尖らせた」というより、
“共通言語のスイッチ”として働いている点だ。
豊舟の宿泊客の多くは海外からの旅行者だというが、日本のアニメ文化は彼らにとっても入口になり得る。知らない人同士が、作品名ひとつで距離を縮める。山奥で「会話が起きる店」になる理由が、ここにある。

同人即売会を“ここで”やる意味

この店の空気をさらに濃くしているのが、同人即売会だ。塩谷さんは元々、漫画家を志し、同人活動にも長く関わってきた。そんな背景を持つ人が、熊野古道の目の前で即売会を開く。

「世界遺産の中で即売会をやるのは、おそらく世界初なのかな」——その言葉が示す通り、場所そのものが物語になっている。

回を重ねるうちに、地元の人にも浸透し、子ども連れが来るようになったことを塩谷さんは喜んでいた。遠方から来る参加者と、地元で暮らす家族が同じ空間にいる。
その光景は、イベントが単なる趣味の集まりではなく、地域の新しい“交差点”になっていることを示している。

山奥で出会ったのは、勝ち方じゃなく「迎え方」だった

取材前、山奥の店と聞いて思い浮かべていたのは、「どうやって集客するんだろう」という問いだった。
けれど実際に会ってみると、主語は集客ではなく“迎え方”だった。

塩谷さんがカフェでつくっているのは、料理のおいしさを土台にした安心と、好きなものを隠さない空間だ。お父さんが営む豊舟が、世界中から旅人を受け止め、その流れがカフェにも届く。親子が同じ敷地でそれぞれの役割を持つことで、山奥に「人が滞在する理由」が生まれている。

トイレを開放し、充電を自由にし、会話のきっかけを棚に並べ、時には即売会で熱量を立ち上げる。派手なことをしているわけではないのに、なぜか記憶に残るのは、その一つひとつが“旅人の都合”に寄り添っているからだと思う。

熊野古道を歩く日がまた来たら、僕はここで一度立ち止まりたい。
身体のためというより、頭の中の乾きをほどくために。


ACCESS

N.Sカフェ
〒646-1402 和歌山県田辺市中辺路町近露字 穴口18−5
TEL 090-8340-1800
URL https://nscafe.jp/

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