きつねのしっぽ・森 綾香さん:苦手だったチーズで、お店を開いた。

和歌山市紀三井寺。その静かな住宅街の一角に、チーズケーキ専門店「きつねのしっぽ」はある。店主の森綾香さんは、元々チーズが苦手だった。それが今では、お客さんの顔を思い浮かべながら、一つひとつ丁寧にチーズケーキを作っている。「チーズケーキで、物語を届けたい」――その言葉の裏には、単なる美味しさを超えた、作り手としての想いがあった。

目次

チーズが苦手だった

「給食に出てくるアニマルチーズ、あれが本当に苦手で」と森さんは笑いながら話す。
小学校の給食。ナチュラルチーズの固形タイプが、どうしても食べられなかった。「チーズってこんな味なんだ」と思った瞬間から苦手になった。食べ終わるまで席を立てない昼休み。苦手な給食の日は、憂鬱だった。
ただ、乳製品全般がダメだったわけではない。ピザに乗っているチーズなら少し食べられた。完全に拒否反応があったわけではなく、「チーズ」というものへの苦手意識だった。
転機は、知り合いからもらったチーズケーキだった。「いちごのショートケーキが良かったなって思ってました」。でも、せっかくいただいたものだからと、一口食べてみた。

「あ、こんなに美味しいんだ」

その瞬間、森さんの中で何かが変わった。こんなに美味しいのに、苦手だというだけで避けていた。それまでケーキ屋さんに行けば、必ずモンブランを選んでいた。でもそれからは、チーズケーキも選択肢の一つになった。そして、自分でも作ってみようと思った。しかし森さんがチーズケーキを本格的に作り始めるには、もう一つ、大きな経験が必要だった。

食の裏側を知る

それは、お寿司屋さんでの経験だった。
もともとは飲食とは異なる仕事に従事していた森さん、あるお寿司屋さんとの出逢いをきっかけに食の世界に興味を持つようになった。 「寿司を握らないか?」と声をかけていただき、板場に立たせてもらったことが、この道の始まりだった。当時の森さんは、料理をしたこともなく、特別な関心もなかった。「すいません、遠慮させていただきます」と断った。しかし、大将はずっと声をかけ続けてくれた。
「料理もしたことないのに、できませんできませんって言ってるのは、なんか違うよね」。そう思った森さんは、決意した。「やってみて、もし本当に無理ならその時はやめます」。そう伝えて、板場に立つことになった。
そこで初めて知った。一貫の寿司に込められた、ものすごい時間と手間。ネタの仕込み。丁寧な仕事。「食べるのって一瞬だけど、それを味わってもらうための手間と時間ってすごいんだなって感動したんですよ」。それまで、母の作った料理を食べて、ごちそうさまをするだけだった。しかし、その裏側を知った時、食に対する見方が変わった。
「できない、できないって逃げてた自分が、やってよかったなって思えたんですよ」
この経験が、森さんを食の世界へと導いた。

イベント出店から店舗へ

ある日、友人から誘いがあった。「一緒にイベントに出店しない?」
イベントまで4ヶ月しかなかった。何から始めればいいのかわからない。断ろうと思った。でも、やる前から諦めるのは違う気がした。 初めてのイベント出店の朝。森さんは心配と不安でいっぱいだった。準備は十分だろうか。お客さんは来てくれるだろうか。
自分の作ったものに自信は持っていたが、「本当に喜んでくれるかな」「私が美味しいと思ってるだけで、他の人が食べたら甘いんじゃないとか、美味しくないんじゃないとかっていう声もあるんだろうな」でも、実際にやってみると、お客さんが「美味しい」と言ってくれた。それが何より嬉しかった。
知り合いや友達、両親も来てくれた。そして、用意したチーズケーキは完売した。「とても不安だった分、売り切れたときは心から安堵しましたね」

それでも森さんは、浮かれなかった。「初めは皆さん興味を持ってくださっているのだと思います。ただ、それが続くかどうか。ここからが本当のスタートだなと思いました」。イベント出店ではテイクアウトのみだった。それを重ねるうち、森さんの中で新しい想いが生まれた。「イートインでお皿に盛り付けをして、季節を感じてもらえる一皿を作りたい」。それから月に1回から2ヶ月に1回のペースで、友人が紹介してくれたカフェで間借り営業を始めた。
盛り付け、演出、お客さんとの会話。イベント出店では味わえなかった、店舗営業ならではの体験。森さんは、毎月テーマを決めて、季節のプレートを作るようになった。

「お客さまに季節を楽しんでいただきたいという思いがありました。そして、その思いに応えてくださるお客さまの存在が、大きな励みになっていきました」。そして2025年4月、森さんは店舗を持つことを決めた。ただ、不安もあった。「店舗を構えると、わざわざここを目的に来てくれるお客様って、何人いるのかな、需要あるんかな」。それでも、やってみようと思った。

声を聞いて、形にする

店を開けてからは試行錯誤の日々だった。どうしたら来てくれるのか。どう宣伝していったらいいのか。
森さんは、来てくれたお客さんに必ず聞いた。「どうやってお店を知りましたか?」。Instagramを見て、友達から聞いて、手土産でもらって美味しかったから。少しずつ、常連さんも増えていった。「頑張ってね」「応援してるよ」。そんな言葉をもらう度に、森さんは考えた。私のこの対応でお客さんは来てくれてるんだろうか。次はどう接したらもっと喜んでもらえるだろうか。

森さんの理想は、「お客さんと一緒に育てていくお店」だった。実際、ベイクドチーズケーキは、お客様からの声で生まれた。もともとは、チーズが苦手な人にでも食べていただきたいという想いで、レアチーズケーキから始まった。しかし、「もっとチーズ感欲しいな」という声も聞こえてきた。「じゃあちょっとベイクドでずっしりしたタイプ作ってみようかな」。実際にお出ししてみると、「こっちの方が好き」という声も届いた。「じゃあ両方出したら、それぞれのお客さんの好みに合わせておすすめできるな」。そうして、レアとベイクドの2種類を作るようになった。

チーズの選び方にも、こだわりがある。「チーズ嫌いな人って結構チーズの匂いとか、なんかこうちょっと独特なクセあるじゃないですか。私はそれが苦手だったんで、そこをなくすチーズを選びました」。季節のメニューも、和歌山のフルーツを使う。いちご、桃、レモン。「和歌山はフルーツが季節ごとに採れる豊かな県なので」。フルーツの扱いにも、森さんなりの考えがある。「加熱すると、フルーツ本来の味が変わってしまう、ジャムやペーストにすると、糖分が入る。本来の味を楽しんでほしいから、基本はレアでお出ししています」。レモンのように、焼いても風味が落ちないものは、ベイクドにもする。「どんな顔して食べてくれるのかな、どう伝えたら喜んでもらえるかな、っていつも考えてます」

誰かの大切な日に

「私が良かれと思って作った新作も、もしかしたら私の自己満足で終わっているんじゃないか」。森さんは、時々そう不安に思う。自分が作りたいものだけを作るのではなく、お客さんが何を求めているかを常に考える。それが、森さんの姿勢だ。
森さんの夢は、シンプルだ。「きつねのしっぽ」のチーズケーキが、日常のちょっとしたご褒美に選ばれる。そんな存在になりたい。そしてもっと多くの人に知ってもらいたい。でも、焦ってはいない。お客さんと一緒に、少しずつ育てていけばいい。元々チーズが苦手だったこと。それは今、森さんの強みになっている。「チーズが苦手な人の気持ちがわかる」だからこそ、誰でも食べやすいチーズケーキを作れる。苦手を乗り越えた経験が、今の森さんを作っている。

お客さんと一緒に

森さんは取材中、何度も「お客さんと一緒に」という言葉を使った。一人で決めて進めるのではなく、来てくれる人の声を聞いて、反応を見て、少しずつ形にしていく。そのスタイルが、森さんのやり方なのだと感じた。元々チーズが苦手だった経験は、今では強みになっている。かつて避けていたものが、今は誰かに届けたいものになった。
「チーズが苦手」という気持ちを知っているからこそ、同じ想いを持つ人に寄り添える。自分が通ってきた道を、今度は誰かのために。そしてこれからも、お客さんと一緒に。


ACCESS

きつねのしっぽ
〒641-0012 和歌山県和歌山市紀三井寺800-43
TEL 090-1097-2956
URLhttps://shippo.myportfolio.com/?utm_source=GBP&utm_medium=GBP&utm_term=GBP&utm_content=GBP&utm_campaign=GBP

目次